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zoom RSS 北前船主の郷ー瀬越(せごえ)−Part1

<<   作成日時 : 2017/01/12 20:06   >>

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北前船とは江戸時代後半から明治時代にかけて海運での商売の形態のことで、大阪から瀬戸内海、日本海の各港を結んで蝦夷地(北海道)までを往復する商船のことです。
北前船の商売の特徴は他人の荷物を運んで運賃を取る単なる海運業ではなく、船主が各地で物を売り買いしながら航海する独特な形態にあります。

一度出港すると各港を転々と巡って商いをして、半年以上か一年も母港に戻らない事はざらにあったようです。
うまく行けば大儲けできますが失敗すれば大損、その上に「板子一枚下は地獄」といった状態でまさに命がけの状況の中で商才にたけた船主は巨万の富を得ていました。

日本海に面した北陸には名だたる北前船主を多数輩出した北前船主の郷があります、有名なところでは加賀市の橋立港がありますが、今日訪ねた瀬越も橋立港よりもさらに大きな財力を持っていた北前船主の郷です、大聖寺川の河口・塩谷港の上流側に位置しています、町村合併で現在では加賀市大聖寺に属しています、以前は瀬越村という小さな村でした、この小さな村に橋立港よりも大きな財力を持つ広海(ひろうみ)、大家(おおいえの二大船主のほかに角谷、板谷、高見、四方などの多くの船主を輩出して橋立と共に日本一の富豪村として知られています
瀬越には船主以外にも事務係の「知工」・航路の案内係「表」・水夫「かこ」・炊事係「かしき」などの北前船に携わる大勢の人が暮らしていました。
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昔は北前船主の立派な屋敷が沢山あったのでしょうが、残念ながら現在この集落で現存しているのは大家七平家だけになりました、大聖寺川に面した立派な門構えで周囲を塀を巡らせた広大な屋敷は往時の繁栄が偲ばれます。
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旗本屋敷を思わせる紋どころ入りの瓦や彫刻などの豪華な門構えでした。
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屋敷の通用門から船着きばに降りられる様になっていました、小舟で塩谷港まで行き来したのでしょうか。
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板塀は和釘(替折釘)、和釘は一本一本鍛造された釘です、焼いて鍛造するので表門にスケールがついて錆びにくいといわれています、現在では文化財等の修復に使われるようです。
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三棟の蔵がならんでいます、大家家の母屋は日本建築の立派な建物で文化財指定の声があった矢先の昭和50年代に火災の為に焼失しました、九棟あった蔵もこの三棟と門の横の一棟の四棟を残すのみとなりました。
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蔵の土台は石造りになっていています、寸分の隙間なく綺麗に積まれていました、換気口でしょうか?、紋どころが彫り込まれています。
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屋敷の裏手と門から見て右手の塀は石造りになっていました。
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大家家の屋敷より上流の大聖寺川に架かる橋の上から見た光景です。
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大家家の通用門(松の木のあたり)から階段で大聖寺川降りて小舟で乗り出せるようになっています。
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橋の手すりにも北前船の装飾が施されていました。
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大聖寺川の大家家の上流側に立派な橋が架かっています、橋のたもとに何やら石碑が立っていました、枯れた雑草に隠れて気をつけて見ないと見落としそうな石碑でした、石碑には「吉崎御坊参詣人遭難之碑」と彫られていました。
現場では分からなかったので、帰ってから調べたらどのような事件が有ったかわかりました。
この橋を渡った先に吉崎御坊が有ります、吉崎御坊は本願寺第八世蓮如上人が北陸に浄土真宗を広めるために布教の拠点として吉崎に築いた御坊です、御坊では毎年四月に蓮如上人御忌法要が行われるのに合わせて善男善女が多数参詣します。
その日は昭和22年4月22日でした、蓮如上人御忌法要の期間は大聖寺からの乗り合いバスや船便は満員で船の乗り場にも大勢の参詣者が集まっていました、この時の船は定員が50名の所、三倍近い150名ほどが乗船しました、瀬越村の近くで船が傾いたので右岸に避難しょうと右に旋回したところ、急傾斜転覆しました、この事故で19名の善男善女は帰らぬ人になるという痛ましい事故が有りました、犠牲者の中には6歳や8歳の子供もいたそうです。
事故から50年目の平成9年に慰霊碑が建てらたそうです。
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北前船の郷を訪れたのですが、思いもよらぬ悲劇の歴史に巡り合いました、初めて訪れる先では想像もしていないことを知ることが有ります。
北前船の夢の時代と参詣人遭難の悲劇が無かったかのように、大聖寺川の深い藍色の水面は日本海に向けてゆっくりと流れています。
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Part1は北前船の郷、瀬越の大家家の屋敷を中心に書きました、Part2は竹の浦館と瀬越の風景を記事にします。

ご訪問ありがとうございます。






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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
昔を偲ばせる大きな屋敷ですね。
このような事を最初に考えて商売を始め色々考えた人が大儲けしたのでしょう。
定員の3倍もの人を乗せて渡ろうとした船の悲劇、今でもよその国で起こっています。
信徳
2017/01/13 09:30
信徳様へ
今では静かな田舎の村ですが藩政期後半から明治時代に掛けて繁栄した村です、現存する屋敷は一軒だけになりましたが繁栄していた頃はこんなお屋敷が何軒かあったようですよ、日本一の富豪村と言われ高額納税者が沢山居て当時の貴族院の多額納税議員に選ばれた物もいます。
北海道で昆布やニシンを買って内地の港に運んで高く売って、そのお金で穀物を買って、北海道の港に運んで高く売ったりして、総合商社のような商いで儲けていたようです。何処かの国のニュースで定員オーバーの海難事故を聞きますが、日本でも昔はそんなことをしていたようです。
go
2017/01/13 14:24
ちょっと見落としてしまうような物でも、それにいわれや歴史があって散策していると興味がどんどん広くなって面白いものですね。北前船は物資と共に文化も運んだと聞いています、今も伝わる民謡や食文化にも影響したのでしょうね
幸村
2017/01/14 18:14
幸村様へ
そうなんです、新しいところを散策すると色々なことに巡り合える楽しみが有りますよ、それにはどんな些細なことにも興味を示して見ないといけないようです。
石川県でも未だ行けていない所が沢山ありますが、余暇を見つけて、というより余暇だらけなので近くをあちらこちら散策するのが楽しみです。
北前船で巨万の富を築いた船主がいますが、同じ国の中ですが貿易船の様な船ですので、北前船によって文化交流もあったようです、北海道で有名な「江差追分」は信州の追分節(信濃追分)の影響を受けたようですし、食文化では北海道の昆布やニシンが内地にはいてニシンの昆布巻きになったり、大根寿司になったみたいです。
真田丸が終わってさみしくなりましたね、懐かしいです。
go
2017/01/15 09:13
こんばんは〜
歴史ある街並木ですね。
とても興味をそそられてしまいました。
紋どころ入りの瓦や彫刻 どれをとっても重みを感じてしまいます。
事故から50年目の慰霊碑ですか
それまで いろんな思いを抱えた方々がいて慰霊碑の形となったのでしょうね。
イータン
2017/01/16 22:51
イータン様へ
加賀市の瀬越集落は現在は寂しい田舎の街ですが、おっしゃる通り歴史のある町でした、藩政期から明治にかけて日本は陸路での物の交易が充分にできない時代でした、その時代に海の交易を担った商船が北前船です。
この瀬越は北前船主を多数輩出しました、日本でも指折の高額納税者も居て、日本一の富豪村と言われていた時代が有ったようです、大家家の屋敷跡を見て当時の栄華が偲ばれました。
北前船の郷を訪れて偶然に悲しい遭難事故の碑を見ました、枯れ草に覆われて忘れられたように碑が建っていました、ここで遭難して命を落とした親族が事故を風化させないように50年目に建てた碑ですが、その事故を知る親族も世を去って行く時代になればこの碑も忘れられて行くのでしょう、そうして歴史が流れて行くのでしょうね。
コメントのお返事が遅れてごめんなさい、これからも宜しくお願いします。
go
2017/01/20 07:46
大概、大聖寺川の南側の道を通ることが多くて、背越えや塩屋町には数えるほどしか通っていないんですが、晴れた日に通るとすっきりした道で、鹿島の森を見ながら素通りがほとんどでした。大家家の名前は知っていましたが、大規模な屋敷が残っているんですねえ。今度機会があったら立ち寄ってみます。
つとつと
2017/01/20 13:38
つとつと様へ
橋立の北前船資料館へ行った時に橋立と並んで北前船の船主の郷として大聖寺の瀬越が有る事を知りました、以前より行きたかったのですが機会がなくて行けていませんでした、年初めのドライブで行って来ました。
瀬越の北前船船主の館は大家家の屋敷だけがのこっています、昭和50年代に火災に遭って母屋が焼けたために残念ながら内部は公開されていません、橋立の様な資料館もなく当時の面影を偲ぶ物も少ないのですが、海の百万長者と言われた広海家と大家家が寄贈した小学校が竹の浦館として残っています、ここも見てきましたので次にアップします。
go
2017/01/22 11:18

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