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zoom RSS 北前船の郷ー瀬越(せごえ)−Part2

<<   作成日時 : 2017/01/22 18:09   >>

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Part1では当時の繁栄を伝える大家家の様子を記事に書きましたが、Part2では瀬越町の様子や、船主が残した竹の浦館などを紹介します。

加賀市大聖寺瀬越町は、人口は168名、世帯数64戸、(平成27年7月1日現在)、小さな集落ですが藩政期から明治時代にかけて、北前船の船主を多数輩出しました、船主以外にも北前船に携わる人が大勢済んでいてまさに北前船の郷として同じ加賀市の橋立港と並んで日本一の富豪村として知られています。
瀬越町には橋立の船主より大きな財力を持ち、海の百万長者と呼ばれた広海家と大家家の二大船主も住んでいました。

広海家は最盛期の明治三十二年には帆船四隻、汽船三隻を持ち、五世のニ三郎は明治三十七年には貴族院の多額納税議員に選ばれています。

大家家は明治十三年には九隻の船を持ち、藩に対して嘉永四年(1851)に御用金530両、慶応三年(1867)にも4200両を献上し十村役格になっています、明治四年に四代目大家七平氏が北海道小樽市に建てた大家倉庫(木骨石造り)は小樽市指定歴史的建造物第一号として現在でも大切に保存されています、その他にも福島県の硫黄鉱山や栃木県の金銀銅山を経営していました、北前船の郷として栄えた瀬越町に船主の屋敷として残っているのはこの大家家の屋敷のみになりました。

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瀬越町に入るとまず目に入るのは大きな木造建築の 「竹の浦館」 です。
竹の浦館は旧瀬越小学校の建て物を利用しています、旧瀬越小学校は昭和5年に広海家、大家家の船主が資金のほとんどを寄贈して建てられました、その他子供たちの修学旅行の代金を負担したり、地域の為に私財を積極的に出費したそうです。
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その後小学校は生徒数が減少したため廃校になりました、しばらくは「青年の家」として活用していましたところ、老朽化の為に取り壊される運命にありましたが、地元の人々の末ながく建て物を保存したいとする強い熱意により、地域活性化と地域の文化交流の要として、平成14年からNPO法人「竹の浦夢創造塾」が運営しています。

竹の浦館という名前は、この地域は「竹の浦」とよばれ、平安時代から風光明美な所でした、多くの文人や歌人が訪れて和歌や俳句を読んでいます、実際に小学校敷地内には西行法師の句碑が有ります。

木造二階建ての大きな建物の外観は当時のままのようです、正門も昔懐かしい戦前の小学校がそのままタイムスリップしたような佇まいです。
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正門とは別に校舎の横に入口が有ります、入口を入ると売店と食堂が有ります。
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売店には地域の特産品や地元の人は作った工芸品などが販売されていました、売店の反対側は食堂が有りました。
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             竹の浦館HPより



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             竹の浦館HPより




校舎の端から一直線に廊下が延びています。廊下の端には玄米?の袋が置かれていて、ローカル色が出ています、こんな雰囲気が私は好きです。
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研修室です、棚には色々な書物が収蔵されていて静かな環境の中で読書や勉強ができるようです。
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二階へあがる階段ですが、当時としてはモダンな手すりですが、どれも木製で触れる手になじんで温かみが有ります。
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二階も校舎の端から端に廊下が延びています、すべて木造の無垢材を使った室内は長い年月を経ても不変の温かみが有ります。
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校舎も壁には沢山の絵馬が飾られていました、絵馬は船主が自分の船の航海の安全を祈願して製作して神社に奉納した物です、二点紹介しますが、いずれも明治時代に奉納されて絵馬です。
絵馬に描かれている船は弁財船(ペザイ船)で、通称千石船とよばれていた和船で、モミ米1000石(約15t)ぐらいを積んだようですが、明治時代には2000石も積めるような船もあったようです。
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竹の浦館の裏側から見たところです、木造建築の大きさが分かります、昭和5年(1930)に建てられた木造建築が86年を経ての立派に現存しています、えりすぐりの木材を使って建てられたのでしょう。
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瀬越町の裏通りを歩いてみました、住まいの母屋に隣接した蔵が有る屋敷が多かったです、北前船の盛んな頃は繁栄した村だったと思います。
しかし現在では経年の為に蔵の板壁が傷んだままのお宅もありました。
瀬越村の集落に住んでいたほとんどの人達は、北前船に携わる人たちが多かったようです、大船主の広海家の番頭を務めていた人の明治三十一年の所得は温泉旅館の四倍にも及んだそうです。

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集落を歩いていて気がついたのですが、所々に空き地が有って屋敷や蔵の土台に使われていた笏谷石(しゃくだにいし)が空き地の隅に積まれて放置されていました、北前船で繁栄した頃は立派なお屋敷や蔵がならんでいたことでしょう。
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集落のはずれに白山神社が有りました、御影石造りの鳥居など立派な神社ですがこの神社にも広海、大家の富豪船主が私財を注いだといわれています。
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山手に墓地が有ります、一般の墓地とは別に石造りの塀に囲まれた墓所が二区画有りました、北前船主の広海家と大家家の墓地でした、これは広海家の墓地の区画です。
石の塀で囲まれた墓地の中に入れないように鉄の扉で仕切られています、中には石灯篭や一族の墓石が沢山立っていました。
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大家家の墓地の入り口も鎖でふさがれていました、正面の大きな墓石の両側の石柱の文字は大家○と読めました。
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大家家の墓所の前にユリが一株のびていました、一本の茎に先には白い花が2輪咲いていました、綺麗なユリの花でしたんので写してきましたが、後から考えたら今は一月でこのような時期にユリの花が咲いているのは珍しいことです。
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北前船の交易によって巨万の富を築いた船主を多数輩出した日本一の富豪村と言われた瀬越村の郷も、北前船の時代も終わって静かな郷になっていました、一時代活況を極めていたとは想像もできない静かな集落でした。


ご訪問ありがとうございます。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
昔を偲ばせる画像が沢山出てきました。
学校の廊下、端から端まで雑巾がけで競ったことなど思い出しました。
北前船で繁栄したあと次の事を考えて後継者に繋いでいれば今でも繁栄していたのでしょうが・・・
時代の流れは人々の暮らし、地理、気候などにも左右され考えた通りには行かなかったのでしょう。
信徳
2017/01/23 09:05
信徳様へ
こんばんは! ここの集落は当時は日本一の富豪村として知れわった村でしたが、貨物自動車の出現により陸路の輸送が発達して北前船の様な海路の交易が廃れていって繁栄を極めた船主も忘れられたように衰退して行ったようです。
この瀬越の船主の広海家は現在も海運に従事しているようですが、大多数の船主は消えていったようです。
道路網が整備されてどこからでも物資が入る様になった時代では北前船のようなおいしい商売ができない世の中になって、当然昔の様な商売携帯は淘汰されていったのでしょうね。
その頃の船主には世の中がどのように変って行くか読めなかったのでしょう。
go
2017/01/23 21:27
木造の校舎、近くにも廃校になった昭和初期の校舎があって取り壊される運命だったので村おこしグループの仲間と存続運動をしました、外に斜めの支え壁のようなものはないですがそっくりの趣のある建物でなぜか懐かしさを感じます、こうして食堂や展示館にすれば良いと思っていたのですが、消防法で不特定多数が来る観光施設にするにはそうとうお金をかけて耐震等の改築が必要とのことでした。写真を拝見すると中も改築されきれいになっていますね。ここの校舎のように思いは届かなかったですが壊さないで今は私立の高校として校舎も使用しているようです
幸村
2017/01/25 16:53
幸村様へ
昔の木造建築は現在のように合板の材料ではなく無垢の木材を使って建てているので壊すには忍びないですね、竹の浦館は現在も色々な用途で使われている所を見るとつっかい柱や耐震改造をしたのでしょうか。
村の住人が富豪になったために、学校を作るほかに生徒の修学旅行の費用までも補助するなど、いくら金持ちになっても出来る事ではありませんが偉い物です。
go
2017/01/25 20:43
小学校の統廃合で空いてしまった校舎を地元有志で再利用するのは加賀で幾つかあるそうで、地元素材の食堂を運営していると聞いているので、機会があったら行きたいと思っていたのですが、福井に行く機会が減ってしまってなかなか行けていませんでした。竹の浦館ですか春になったらドライブがてら行ってみたいと思います。
木造校舎は温かみがあっていいですねえ。僕は小学校の2年間しか木造校舎の経験がないんですが、鉄筋よりも好きですねえ^^
つとつと
2017/01/26 12:13
つとつと様へ
昔の木造校舎で廃校になった建て物が石川県にも幾つかあるようですが、木造校舎は温かみが有って皆様が壊すのに忍びないと保存を希望しているようですが、耐震性に問題が有って中々思うようにはならないようです、瀬越の竹の浦館は耐震補修をしたようで建て物の外ににつっかい棒をして補強しているようです。
小泉武雄先生が訪れていますが、小泉先生のお勧めのサバをイシルで味付けした定食がお勧めです、私はサバのヘシコと山いもを買ってきました。
go
2017/01/26 20:39

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